1月282012
ハングルでは全部同じ。
同音異義語というのみならず表記も全く同じ。
前後の文脈で区別するしかない。

例:
釣船の操船で有名な朝鮮人たちの祖先が造船した商船に率先して乗船し商戦に挑戦

チョスンのチョスンで有名なチョスン人たちのチョスンがチョスンしたチョスンにチョスンしてチョスンしチョスンにチョスン
iTunesの韓国差別がひどすぎる・・・ - 痛い信者(ノ∀`)
10AM
“地震後の辛さを知らないからそんなこと言えるんです。地震は戦争。まず自分の分を確保してから分けてあげればいいのです。確保してから「水あります」と貼紙した家がありました。正しい態度です。” 地震が起こったら、まずこれをしろ!
7AM
7AM
1月272012

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ソーシャル・ウンコ

2012年01月27日(金) 17:38:20

いやさ、昔、谷村新司の「セイヤング」っていう深夜放送があってね、ボクが中学時代だから、もう35年くらい前かなぁ、そこでね、「百恵ちゃんと同じウンコをしよう!」ってコーナーがあってさ。

これ、「明星」だったか「平凡」だったかに「百恵ちゃんの今週の献立」みたいな小さなコーナーがあって、その週に彼女が食べたメニューが簡単に載っていたわけ。朝昼晩。目玉焼きとトースト、とか、カレーライスとヨーグルト、とか、アジの塩焼きとご飯、みたいに。

で、彼女と同じメニューを同じ順番で毎日食べ続ければ、憧れの彼女と同じウンコが出るはず! っていう素晴らしくおバカな企画でさー!

いや、マジ、企画者すごいなと。
うん、そりゃ厳密には違うだろうよ。まったく同じ料理じゃないんだから。でも、可能性高いじゃん? だいたい同じ構成のウンコが出るかもじゃん? 同じような匂いだってするかもじゃん?

というかこれってさー、とってもソーシャルメディア的だよねー。
離れたところにいる人たちがつながって、同じものを食べて、同じウンコをする…。

言うなればソーシャル・ウンコだよ、ソーシャル・ウンコ!
ウンコをめぐる弱い紐帯! 同じウンコという共感!

www.さとなお.com(さなメモ): ソーシャル・ウンコ
12PM
“たとえ明日誰もrblgしなかろうとも、今日私はquoteの木を植える” (via petapeta)

(hepton-rkから)

12PM

それ以外は、仕事については「やだな、だるいな」というタイプが多いです。感覚的に、7割以上は終身雇用主義者です。

 今、うちの会社は海外展開を進めようとしているので、その流れで、海外に派遣される事態になることを恐れている人も多いです。海外どころか、「豊洲(本社)以外での勤務は嫌です」とか部長面談で言っちゃう人もいますから。

NTTデータ 「予想以上にやる気がなかった」社員たち:MyNewsJapan (via otsune)

(otsuneから)

12PM
“練馬区の日本大学練馬光が丘病院(以下、日大光が丘病院)撤退、および志木市の志木市民病院からの小児科撤退により、4月以降の東京都北西部から埼玉県南西部に及ぶ広域の小児救急医療崩壊が避けられない状況になっております。

日大光が丘病院と志木市民病院が都北西部と県南西部において、小児救急医療で果たしてきた役割は非常に大きく、日大光が丘病院は小児科常勤16名で年間 8,000〜10,000人の小児救急対応し、志木市民病院も現在年間約12,000人の小児患者に対応しております。また小児科病床もそれぞれ34床、 45床、同一医療圏の順天堂練馬病院は24床、国立埼玉病院は26床であることを考えると、日大光が丘病院と志木市民病院小児科の撤退で地域全体の60% もの小児病床がなくなることなります。これは非常に重大な事態で、患者搬送の遅滞による大事故や病院小児科のドミノ倒しに発展しかねません。” Vol.381 東京都北西部と埼玉県南西部の小児医療を守るための小児科医共同声明 - MRIC by 医療ガバナンス学会 (via otsune)

(hepton-rkから)

9AM
toronei:

正面下、背中に刺青を入れたアジア系の女性が中国。 絵の左、熱心にまじめに打っているのが日本。 上着を着て横を向いているのがアメリカ。 寝転がってみだらな状態なのが、ロシア。 隣で立っている小さな女の子が、台湾。 これは「北京2008」という油絵だ。 最近、欧米やインターネット空間で、筆者が用いた顔料の
 千倍以上もの量の唾が飛び交うような議論を巻き起こした 。 画家は劉湓と言い、カナダ在住の中国人だ。 興味深いのはこの絵のタイトルは北京2008であり、 描かれているのは麻雀を打つ4人の女性¥だが、実は背後 に様々な意図が隠された意味深な絵なのである。 中国(正面下の女性)は場の「東」を鳴いている。これに は二つの意味が含まれている。 一つ目に、中国が「東風」の力を借りて再び巻き返そうとしているということ。 二つ目に、「東風(という)ミサイル」は中国がすでに場に出した有力な武器だということ。 中国の形勢は端から見れば悪くはないが、他の牌がどうなのかは分からない。 そしてその女性は卓の下で小細工を働かせている。 アメリカは胸中に勝算を秘めているような様子で、台湾の方を見て、意味深な表情をしている。 一方で台湾の表情から何かを汲み取ろうと必死になっており、 また一方で視線で台湾に何らかの暗示もしている。 ロシアはもうどうにでもなれというような表情でいるが、実はそうではない。 右足を通じてアメリカとグルになり、また一方で中国に牌を渡している。 ここから、この二カ国は裏で互いに利益を交換しているともとれる。 日本人はただひたすらに自分の牌を見ている。 他の人が何をしているのかを全く知らない。 ただ、自らの牌を打つ事だけに気を留めている。 台湾は中華文明の真の継承者を意図した赤い腹かけ(肚兜)を身に纏っている。 台湾は片手に果物を、もう一方に果物ナイフを持ち、 陰険で憤りを含ませた表情で中国をじっと見ている。 しかしどうしようもない。麻雀に入ることはできないし、最後に誰が勝利しようと、台湾はただ勝者に果物を切ってあげることしかできない。 窓の外の河や薄黒い雲は濃く、両岸(中国―台湾間)情勢の危機、一触即発の様相を暗示している。 とても興味深いのは壁の肖像画で、孫文の髭、蒋介石の禿げた頭、そして毛沢東のいで立ちを拵えている。 四人の女性の服装についてみてみよう。 中国の上半身は裸で、下半身はスカートとショーツをはいている。 アメリカはレースのマントと下着を着ているが、下半身は裸である。 ロシアはショーツしか残っておらず、 日本はすでに何も残っていない。 つまりこれらは各国の情勢を克明に浮かび上がらせている。 アメリカが着ている衣服は端から見れば最も整っており、実力も最も強大である。 その他はいずれも体を隠すこともできないものもある。 しかしアメリカの容貌は光にあふれているように見えるが、しかし実際のところすでに自らのボロを見せている。 そして中国とロシアは確かに容貌は裸ではあるが、重要なのは二者の陰部が隠れきれているところである。 仮にこの局を脱衣麻雀だとしよう。誰が誰に負けて脱がされたのか。 一局目が打たれ、中国が負ける。そして現在のロシアの状態までになる。(ソ連解体と状況は似ている) アメリカが負け、そしてロシアの状態にまで堕ちる、 ロシアが再び負け、今度は徹底的に何もない状態まで堕ちる。 そして日本は、実はすでに何もない状態に。 ロシアは公正に牌を打っているように見せかけて、実はロシアは中国と牌を交換している、 真面目に打っているのは日本。というのもすでに何もなく、一度負ければすぐに席を立たなければならないからだ。 つまりまとめると、アメリカは最も猫かぶっていて、最も色鮮やかに輝いているように見えるが、実は危機はそこまで小さくなく、もしこの一局に敗れれば、たちまち「親」の地位を失うことになる。 ロシアは双方と裏で手と足を引いており、最も陰険狡猾、状況は解放後の中国に似ており、ソ連やアメリカのような状態に傾く可能性がある。と言うのも自らに力が凝集されておらず、双方がどうなるかによって自らの生存と発展を求めている。 中国の牌の多くは見ることができず、これは中国が多くの実力を隠していることを説明しているのだろうか?しかも卓の下ではロシアと牌を交換しており、またアメリカ人は台湾の表情で中国とロシアが何をしているのかを推測することしかできない。 日本はすでに何も残っておらず、ただ自らの牌を打ち続けることに必死である。 台湾は冷静に状況を見ており、卓の上の4人が何をしているかをすべて把握している、心情は明らかだが麻雀を打つ資格も能力もなく、また話す権利も存在せず、不満を抱いても何にもならない、ただ女性らしくおとなしくし、勝利者に果物を献上する他ない。 勝利者はおそらく中国かアメリカの間に生まれるだろう。この懸念は大きくはない。 しかしはっきりしているのは、アメリカの力がたとえ強くとも、4人が遊んでいるのは中国の麻雀であり、ポーカーではない。 中国人の決まりに従ってゲームを行う。アメリカ人に勝算は果たしてあるのか?
李 育軒さんのフォトアルバム

toronei:

正面下、背中に刺青を入れたアジア系の女性が中国。
絵の左、熱心にまじめに打っているのが日本。
上着を着て横を向いているのがアメリカ。
寝転がってみだらな状態なのが、ロシア。
隣で立っている小さな女の子が、台湾。

これは「北京2008」という油絵だ。
最近、欧米やインターネット空間で、筆者が用いた顔料の

 千倍以上もの量の唾が飛び交うような議論を巻き起こした 
画家は劉湓と言い、カナダ在住の中国人だ。
興味深いのはこの絵のタイトルは北京2008であり、
描かれているのは麻雀を打つ4人の女性¥だが、実は背後 に様々な意図が隠された意味深な絵なのである。

中国(正面下の女性)は場の「東」を鳴いている。これに は二つの意味が含まれている。
一つ目に、中国が「東風」の力を借りて再び巻き返そうとしているということ。
二つ目に、「東風(という)ミサイル」は中国がすでに場に出した有力な武器だということ。
中国の形勢は端から見れば悪くはないが、他の牌がどうなのかは分からない。
そしてその女性は卓の下で小細工を働かせている。

アメリカは胸中に勝算を秘めているような様子で、台湾の方を見て、意味深な表情をしている。
一方で台湾の表情から何かを汲み取ろうと必死になっており、
また一方で視線で台湾に何らかの暗示もしている。

ロシアはもうどうにでもなれというような表情でいるが、実はそうではない。
右足を通じてアメリカとグルになり、また一方で中国に牌を渡している。
ここから、この二カ国は裏で互いに利益を交換しているともとれる。

日本人はただひたすらに自分の牌を見ている。
他の人が何をしているのかを全く知らない。
ただ、自らの牌を打つ事だけに気を留めている。

台湾は中華文明の真の継承者を意図した赤い腹かけ(肚兜)を身に纏っている。
台湾は片手に果物を、もう一方に果物ナイフを持ち、
陰険で憤りを含ませた表情で中国をじっと見ている。
しかしどうしようもない。麻雀に入ることはできないし、最後に誰が勝利しようと、台湾はただ勝者に果物を切ってあげることしかできない。

窓の外の河や薄黒い雲は濃く、両岸(中国―台湾間)情勢の危機、一触即発の様相を暗示している。
とても興味深いのは壁の肖像画で、孫文の髭、蒋介石の禿げた頭、そして毛沢東のいで立ちを拵えている。

四人の女性の服装についてみてみよう。
中国の上半身は裸で、下半身はスカートとショーツをはいている。
アメリカはレースのマントと下着を着ているが、下半身は裸である。
ロシアはショーツしか残っておらず、
日本はすでに何も残っていない。
つまりこれらは各国の情勢を克明に浮かび上がらせている

アメリカが着ている衣服は端から見れば最も整っており、実力も最も強大である。
その他はいずれも体を隠すこともできないものもある。
しかしアメリカの容貌は光にあふれているように見えるが、しかし実際のところすでに自らのボロを見せている。
そして中国とロシアは確かに容貌は裸ではあるが、重要なのは二者の陰部が隠れきれているところである。

仮にこの局を脱衣麻雀だとしよう。誰が誰に負けて脱がされたのか。
一局目が打たれ、中国が負ける。そして現在のロシアの状態までになる。(ソ連解体と状況は似ている)
アメリカが負け、そしてロシアの状態にまで堕ちる、
ロシアが再び負け、今度は徹底的に何もない状態まで堕ちる。
そして日本は、実はすでに何もない状態に。
ロシアは公正に牌を打っているように見せかけて、実はロシアは中国と牌を交換している、
真面目に打っているのは日本。というのもすでに何もなく、一度負ければすぐに席を立たなければならないからだ。

つまりまとめると、アメリカは最も猫かぶっていて、最も色鮮やかに輝いているように見えるが、実は危機はそこまで小さくなく、もしこの一局に敗れれば、たちまち「親」の地位を失うことになる。
ロシアは双方と裏で手と足を引いており、最も陰険狡猾、状況は解放後の中国に似ており、ソ連やアメリカのような状態に傾く可能性がある。と言うのも自らに力が凝集されておらず、双方がどうなるかによって自らの生存と発展を求めている。

中国の牌の多くは見ることができず、これは中国が多くの実力を隠していることを説明しているのだろうか?しかも卓の下ではロシアと牌を交換しており、またアメリカ人は台湾の表情で中国とロシアが何をしているのかを推測することしかできない。
日本はすでに何も残っておらず、ただ自らの牌を打ち続けることに必死である。

台湾は冷静に状況を見ており、卓の上の4人が何をしているかをすべて把握している、心情は明らかだが麻雀を打つ資格も能力もなく、また話す権利も存在せず、不満を抱いても何にもならない、ただ女性らしくおとなしくし、勝利者に果物を献上する他ない。

勝利者はおそらく中国かアメリカの間に生まれるだろう。この懸念は大きくはない。
しかしはっきりしているのは、アメリカの力がたとえ強くとも、4人が遊んでいるのは中国の麻雀であり、ポーカーではない。
中国人の決まりに従ってゲームを行う。アメリカ人に勝算は果たしてあるのか?

李 育軒さんのフォトアルバム

(tsupoから)

9AM

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

東京新聞:渡辺謙さん、ダボス会議スピーチ全文(TOKYO Web)

(otsuneから)

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