katoyuu
昔校長先生が「勉強しないと視野が狭くなる。勉強しないと僅かな知識だけでこの世を理解しようとするせいで、ありえない仕組みを仮定して「分からない」を埋め立て始める。分からない物の多さが分からないからなんでも知ってる気分になってしまう」と話してたの、今になってすごく意味がわかる。
katoyuu
186 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2010/06/18(金) 17:33:50 ID:Yp5wtHQP0
モザイクの発祥は日本だからな
もともと春画の陰部を隠せっていう規制が幕府から出されたときに
春画に海草で出来た海苔状のマスクを貼っておいて「ちゃんと隠してますよー」って売ったんだけど
後で蒸気で蒸らすと簡単に剥がれたんだよね
その海草でできた陰部を隠す膜の名前「藻細工」が始まりだとか
otsune
iOS版リリースで、今日からIngressを始めたのですが、6500歩なんて赤ちゃんのハイハイレベルだとか、Ingressを始める前の準備運動程度だと、Ingressの先輩たちから叱咤激励して頂いています。「深夜に職質されて欲しいwww」とかシャレにならないので勘弁して下さい。
gkojay
オリンピック柔道はもはや柔道ではないなんて言っていた自分をここまで恥じる日が来ようとは思っていなかった。
 
僕が部活で教わった柔道の先生は、畳の上での巌のような荘厳さと畳を出てからの朗らかな柔和さと、その節の見事さそのものが僕ら未熟が侮る余地を完全に消していたように思う。竹刀は待たず、両手親指を帯の結び目辺りに突っ込んで、仕切りにすり足をしながら技の危険や未熟を見つけると黙って止めて自ら形を取って直していく先生だった。
県大会に出れば、先生の周りに他校の指導者たちの人垣ができた。「先生すげえなあ!えらいんやなあ!」と先生の柔和さに甘えて度を越した言動をする僕ら未熟ににこにこと笑いながら、「相手の礼は自分の礼」とよく教わった。その意味がわかるのはずっと後になって僕が柔道を辞めてからだけれど、今も間違いのない処世訓として生きている。
 
道場を含めて6年間、僕は暴力をひとたびも受けなかった。それは誇張でも嘘でもない。寒稽古など、自分の心身を苛める修験の類はあったが、水絶ちなどを含めて強制された覚えはない。
柔道とは、武術から暴力を廃し形として技に転ずることで、自他の武力への向き合い方を修めるものだと習った僕らにとって、暴力はすなわちもっとも初歩の未熟だった。自然、先輩も畳の上ではその横暴さを完全に律したし、逆にそれができない者には居辛い世界だったように思う。
 
柔道はなぜ、畳の上でやるのか。ある日、生意気に穿った答を引き出そうと、そう聞いた頭でっかちの僕に、柔らかに先生は言った。
「投げられても、痛くないようにな」
それが柔道の極意だと、僕は信じている。